第二次世界大戦における日系アメリカ人二世の戦い

1941年12月7日、日本軍によるハワイ真珠湾アメリカ海軍基地の奇襲作戦が実行され、日米間による太平洋戦争が始まった。
日系人たちはアメリカ国民としての精神をみにつけ、長年アメリカ社会の一員として成り立っていた。しかし日本の宣戦布告によって、アメリカ合衆国へ従順に貢献してきた彼等のアメリカ国民としての忠誠心が問われるようになってしまったのである。日系アメリカ人の忠誠度についてカーティス・B・マンソンは、日系アメリカ人は忠誠心があり、ほとんど脅威にはならないとした結論を報告していた。それにも関わらず、真珠湾攻撃から3ヵ月後、1942年2月ルーズベルト大統領は行政命令9066号を発令し日系人の処遇を軍の手に委ねたのである。
当時、日本人などの有色人種の人権、市民権の為の運動団体であり州政府、連邦政府に人種差別廃止運動を起こす数少ない運動団体の1つであるJACLに務めていた日系二世のマイク・マサオカは、大統領令9066号が発布され、日系人の強制収容が行われることについて米政府に交渉し、なんとかしてことをより穏便に運ばせようと活動した。だが、交渉は上手くいかず、命令は覆らなかった。しかし、マサオカは米国市民権を持つ二世の収容は人道的におかしいとし、一世のみを強制収容所に集め二世は軍に志願し二世部隊を結成して戦場におもむく、という案を軍当局に提出した。親たちを人質として差し出すことによって、日系であっても二世たちがアメリカに忠誠心を示せると考えたのだ。しかし政府の見解は翻らず、最終的にマサオカは粛々として命令に従い100%の協力姿勢をとることでしか、日系人の忠誠心は示せないと考え、戦時転居当局に協力する方向に転じた。その結果、日系人の収容は大きな問題も起こることなくスムーズにことが進んだのであった。
大戦が激化する中、マサオカはかねてより熱望していた「日系二世のみの部隊」結成の実現に力を入れる。敵国日本の人種であるという理由で軍隊に志願することが許されなかった日系二世たちのうちには、アメリカ市民でありながら人権を剥奪され強制収容されるという複雑な心境の中でも、なんとかしてアメリカに忠誠を尽くしたいと願うものが大勢いた。戦争の長期化につれて日系人からの徴兵も考え出した政府に対し、マサオカは再び二世部隊結成を要請。願いは聞き届けられ、日系二世のみの442部隊が編成されるときマサオカは真っ先に志願したのである。
時を同じくして、もう一人強制収容命令に従うことを拒み、果敢に挑戦したものがゴードン・ヒラバヤシである。彼は米国市民権を有していながら人種の違いを理由に他のアメリカ国民と差別され、強制収容所への収監命令は違憲であると主張し、強制収容命令を拒んだ。
夜間外出禁止令が発令されたときヒラバヤシは、「まだ仕事が残っているというのに、なぜこんなに急いで家に帰らなければならないのだろう?」と自分自身にたいして問題提起し、答えをだすために禁止令に従わない選択をとった。そのことについて問題意識を持った以上、ヒラバヤシはもはや禁止令に従うことはできなかった。ヒラバヤシが夜間外出禁止令の対象になった唯一の理由は、「日系人だから」というただそれだけのことなのだ。実際、彼の同僚の中にはアメリカ市民ではないカナダ人もいたが、彼らは家に帰らなくてもよかった。夜間禁止令は、ヒラバヤシには到底受け入れられなかった。その後彼は自らFBIに出頭し投獄されたのである。刑務所で収容所へ行くよう促されたが、ヒラバヤシは信念にもとづいて刑務所生活を選んだ。その後裁判が執り行われたが、判事からの「憲法についての議論はみなさん十分お聞き及びでしょうが、憲法が示しているところは今回の裁判には関係がありません。みなさんが考慮すべきは、大統領より発行された大統領行政令9066です。」という発言により、ヒラバヤシが訴える憲法による権利の主張は彼が日系人であるという理由で受け入れられることは無かった。
マサオカは最初の抗議運動が受け入れられないと見るや、速やかに従順に従う方針をとったが、これは個人としては決して受け入れられなくとも、アメリカに住む日系人全員の安否を考えれば無理に戦うのは有益にはならないと考えたからだと推測できる。マサオカは常に日系人全員の未来を考え行動していたのではないだろうか。例え裏切り者といわれようが、一世を人質に、二世だけでも軍へ参加できないかと熱望していたのも大戦終了後の日系人の処遇を少しでも改善できればと思って行動していたことが、真っ先に軍へ志願し忠誠を誓おうとしたことから伺える。その後への影響力というものから見れば、マサオカの行動を支持するべきだといえる。だからといって、ヒラバヤシの行動が悪かったというわけではないが、マサオカのほうがJACLという団体の力を持っていたことが彼らの行動の違いを表したのではないだろうか。
両者ともにそれぞれの信念のもと行動し、アメリカ合衆国と正面から向き合い戦った者どうしである。両者の信念は決して対立したものではなく、同じ問題提起から始まったものであり、後年両者の行動の末にアメリカ合衆国へ過ちを認めさせた功績は計り知れないものがあるといえる。


参考文献